琵琶湖の近くにある小さな町に、             結城澪という女子大生がいました。

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澪は、人より少しだけ「感じすぎる」心を持っていました。

教室で誰かがため息をつけば、その空気が胸に刺さる。

友達同士の小さな沈黙にも、「何か悪いことを言ってしまったのかな」と不安になる。

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ファミレスの食器の音。
電車のブレーキ音。
誰かの機嫌。

普通の人なら気にならないものが、澪の心には洪水のように流れ込んできました。

だから澪は、いつも笑っていました。

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嫌われないように。
空気を壊さないように。

けれど本当は、ずっと疲れていました。

夜になると、アパートの小さな窓から琵琶湖を見つめながら思うのです。

「どうして私は、こんなに生きづらいんだろう」

大学でも、澪は「優しい子」と言われていました。

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でもそれは、
「自分を消している子」
でもありました。

そして毎日、
誰にも気づかれないまま、
少しずつ心を削っていたのです。

そんなある日のこと。

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大学のゼミ発表で、澪は人前で言葉が出なくなりました。

頭が真っ白になり、
視線が怖くなり、
呼吸が浅くなる。

教室の空気が一気に押し寄せてきて、
澪は途中で教室を飛び出しました。

雨が降っていました。

春の冷たい雨でした。

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澪は大学裏の古びたベンチで、一人うずくまって泣きました。

「もう無理…」

その時でした。

「はい、これ」

突然、頭の上に傘が現れました。

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振り向くと、同じ大学の映像学科の男子学生、
朝比奈蓮が立っていました。

髪はぼさぼさ。
服はなぜかペンキだらけ。

しかも彼は第一声でこう言いました。

「君、雨に打たれてる柴犬みたいだね」

澪は泣きながら、

「最低です…」

と言いました。

蓮は笑いました。

「うん、褒めてる」

変な人でした。

でも、
その適当さに、
澪は少しだけ救われました。

蓮は、古いビデオカメラを持っていました。

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「俺、見えない感情を撮るのが好きなんだ」

そう言って、
風に揺れる木や、
水たまりの波紋や、
夕暮れの電車を撮っていました。

「みんな派手なものばっか撮るけどさ。
本当に綺麗なのって、
たぶん 消えそうなもの なんだよ」

澪はその言葉に、胸を撃ち抜かれました。

それから二人は、少しずつ一緒に過ごすようになりました。

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琵琶湖へ行ったり。

古い喫茶店で、
巨大すぎるパフェに挑戦して失敗したり。

蓮はアイスを床に落として、「芸術は爆発だ」と真顔で言いました。

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澪は笑いました。

久しぶりに、心から笑いました。

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でも、幸せになりかけた時、
澪の心は再び崩れます。

SNSで、
ゼミ発表の失敗を揶揄する投稿を見つけてしまったのです。

「意識高いくせにメンタル弱すぎ」

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その言葉は、
ナイフのように胸へ刺さりました。

澪は大学へ行けなくなりました。

蓮からの連絡も返せない。

カーテンを閉め、
部屋の隅で膝を抱えました。

「やっぱり私はダメなんだ…」

世界から切り離されたようでした。

数日後。

玄関の前に、
小さなDVDが置かれていました。

差出人は、蓮。

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再生すると、
そこには澪の知らない自分が映っていました。

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風を見て微笑む澪。

猫を見つけてしゃがみ込む澪。

雨上がりの空を見上げる澪。

蓮の声が流れます。

「澪はさ、弱いんじゃないよ」

「普通の人が見えないものを、
見すぎるくらい見えてしまうだけ」

「でもさ。
それって、
本当は才能なんじゃない?」

澪は、涙が止まりませんでした。

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その瞬間、
初めて気づいたのです。

自分は欠陥品じゃなかった。

感じすぎる心にも、意味があったのだと。

数か月後。

大学の小さな映像展示会。

澪は、自分の撮った写真と言葉を展示していました。

タイトルは、『透明な雨音』

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そこには、
HSPとして苦しんだ日々と、
それでも世界を愛したかった気持ちが綴られていました。

展示を見た一人の少女が、
涙を流しながら言いました。

「私も、同じでした」

澪は静かに微笑みました。

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以前の澪なら、
怖くて隠れていたでしょう。

でも今の澪は違います。

傷つきやすいまま、
それでも人と繋がれることを知ったのです。

帰り道。琵琶湖の夜風が、二人の間を静かに吹き抜けました。

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蓮が言いました。

「ねえ澪」

「はい?」

「君、もう雨に打たれた柴犬じゃないね」

澪は笑いました。

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「じゃあ今は?」

蓮は少し考えて言いました。

「雨の音を集められる人」

湖面に月の光が揺れていました。

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世界は相変わらず騒がしくて、時々、少し痛い。

でも・・・・・

感じすぎる心は、

誰かを苦しめるためではなく、

誰かの孤独に、

そっと気づくためにあるのかもしれません。

そしてその優しさは、

いつか誰かの夜を、

静かに照らしていくのです。

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